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ご無沙汰をしております。
師走。何かと慌ただしい時期ではありますが、いかがお過ごしでしょうか。

右左喜家斧八です。

いやほんとに、慌ただしい、クソ忙しい、もうわけわかんなくなり過ぎて逆にどうでもいい、そんな、

そんな季節。

ついこないだまで暑さに悶えてたと思ったら、
今では当たり前に朝、霜が降りている。
本当にあっという間に時間は過ぎて行くものです。

霜といえば


下ネタですね

どうしてそうなる!?
あ、いやこれ、個人的な話なんですが
今年の年末は洒落んならんくらい忙しく過ごしていましてね?
年末通り越して年明けにもこの忙しさは引っ張ってしまう感じなんですよ。

だからもう、半分以上頭おかしくなってる自分がいるのでね

おかしくなったついでにこうしてブログ書き殴ってやろうと

筆ならぬスマートフォンを手にこの画面開いてる流れ、なんですよ。

そんんんんんなのはどうでもよくて話を本題に戻します!俺には時間がないんだ!!

じゃあ書くなよ

うるせえよばかやろう!!


たまにはこんな事でもして気を紛らさないとほんとに頭おかしくなりそうなんですっっっ!


っというわけでね?

!?


最近気づいたんですが私ってなんか、

下ネタの人

っていうイメージありません?

これね、非常に困るんですよ
そういうのを売りにして舞台に立ってたら
本質を見失ってしまいますから

とはいえね?
自分がミュージシャンか?アーティストですか?って言われると
ちょっと違和感を覚えるというか
素直にはい、とは言えない、いや一応ね?
子でびる隊変態支店ってバンドのベーシストですよ?
他でもね、ありがたいことに色んなバンドでベースを弾かせていただいてますよ?

ベーシスト


これは最近ですが、ちゃんと自称するようにしてます。
私が所属してるバンドのミュージシャン達は
ちゃんとミュージシャンなので、失礼のないようにね、まだまだ力及ばずなところはありますが、ベーシストとして一緒に楽曲に取り組んでいます。向き合っています。

でもなんか
どんなステージでも表現の場と抽象的に捉えてしまうと

わたしはどうしてもお笑いの人という立場が強くあって、そして強く欲しがってしまう傾向ががあり、更にそこに怖気付いてしまったりという葛藤すら胸に抱いてたりするんです

そこで主張をどうしたらよいのか、

それでまるで道に迷ったかのようにたどり着いたのが

下ネタで


戦うためには武器をと思い急いで手探りで手に取り

ガッ!!

っと構えたら

うんこだったあちゃー(>_<)なぜならば!!

下ネタという武器は
一番軽く、そいて一番扱いが簡単で、
とりあえず目立てるそうどんなに自分を下げてでも。
当たり前さ、うんことかちんことか言ってりゃ世間は

なんだアイツ


っていうようなまるでゴミでも見るかのような目線で俺を

そして


もっとその目を俺に向けてくれ!ああ!もっと!さあもっと!これだ!これこそ俺の求めていた舞台そう!本番まな板ショーだ!!


いやそういう性癖はないから!

あ、子でびるでいうとクチャッキーはわかんないけど。なんやかんや10年近い付き合いの中で

こいつが一番の変態じゃないか!!


と思わされる節がちらほら見え隠れしてるのを何度も

あ、いやその話はね、置いといて

なんの話かわかんなくなるから!!


あ、すいません、脱線がなぁ、癖なんだよなぁ

はい!はい!
つまりね、下ネタっていうのは
私には掴みでしかないわけなんだけど

それが印象として強くあるってことは

他は何も残せてないってことになるわけで?


はい、あの、
わたしは日頃からおもしろいことに非常に、ストイックなつもりなんだけど

人というのは弱いもので

楽な方に逃げてしまうもので

俺は逃げてきたのかなぁ
無意識に
逃げる方にクリエイションを働かせていたのかもしれない。

ただね?

たしかに俺は楽な方に逃げて来たのかもしれない。幅広いエンターテイメントという大海原にわたしは下ネタというゴムボートで挑み、映画キャストアウェイのトムハンクスよろしくよせてはかえす波に何度も何度も押し戻され島を離れる事すらできない。
世間という荒波はそんな俺に確かに厳しくそして冷たい。
心が弱いのか、能力に乏しいのか、俺はまた無人島に1人、自ら帰ってしまってたのかもしれない。

下ネタという無人島に…

孤独だ…此処は孤独だ!


しかしその孤独にも
真理はある!

この世界の二面性に向き合うのだ
そう、パラドックス
この世の全ては両側を知らずしてその一面を知ることは出来ない

闇があるから
光は美しくまた
その闇にも奥深さを

俺たち人間は見出してきたんじゃないか!!??


そう、つまり軽く見てくれるなよと、ね?
わたしの下ネタには哲学があるぞ、と

そう主張したひ!!わたくしは!!

つまり俺は

哲学者なのだ

アリストテレス、ソクラテス、プラトン
に並ぶ哲学者
そして俺は

オノクソデス

誰がクソだばかやろう!

いやお前が勝手に名乗ったんだよ!

ここまで来て今更なんですが

実はわたし

下ネタ嫌いです。
いやだってぇ、なんか低俗じゃないですか?
頭悪そうだし、いやでもそこをあえて!ってのはあるのでね
一応それをちゃんと説明します

だからこっからが本題です

前置きが長いっ。


「斧八流下ネタ術」
大事なポイントを初めに言っておきます。

斧八流は要するに

足し算ではなく引き算の下ネタです。

1.会話や講釈の流れを大きく変えない、止めない

2.聞く、いや"届ける"相手に対して敬意を忘れない。傷つけない。不快に思わせない。

3.女性を対象にしたワードは極力避ける(発信者の性別問わず)

4.エロ、からはなるべく遠ざける。
つまり欲情を煽らない。

5.発信者の表面的な偏差値は思いっきり下げるが人格は下げない。

6.周りとのチューニングをずらし過ぎないが同じにはしない。

7.自分への愛を忘れない。

8.臭いには気を配る

9.勃起しながら言わない

10.そうは言っても相手が引くくらいの事はたまにぶっこむ!!


以上十ヶ条です。

これは制限のように見えますが制限ではありません。

道を狭める事で勢いが生まれます。
もちろんクリエイティブな勢いが。
選択肢が多ければ多いほど、人は戸惑いかえって道や視界を狭めると言います。
結局は恒常性という力に引き戻されてしまうというものです。
ホメオスタシスが、意識には強く働くんですね。
かといって見境がないは、イコール芸がないという事を表していて、
今度は同じこうじょうでも、向上という道を閉ざしてしまう可能性が考えられます。


そしてなによりこれらはどれも
愛を持っていないと成り立たないというのが
一番大切なポイントになるでしょう。

もちろん人は誰一人欠けることなく芯に愛を持っていて、そこに差はないと
私は考えいます。

ただ表面的な部分で個人差があるのは
もちろん育った環境や、アドルフ・シュタイナーの説による6歳までに形成されるという生きるため、愛されるための戦略を含む人格などのような、個人が個人を認識する為に定義づける情報によってのもので

多くはそれにより大部分を覆い隠されてしまっていますが

決まって愛は常に一方向に向かっているもので
そこから離れようとする思考や行動が
心の中での葛藤や広い視点で物事を捉えた状態の意識の中に生じるエントロピーにより

苦しみを経験するわけですが
それらも愛には含まれてしまうわけです。

なのでもしかしたら
我々の人生そのものを、愛と呼んでいいのかもしれません。

このように定義づけようとすればするほど
つまり形づけようとする、箱に収めようとすればするほど

逆にどこまでも広がってしまうのが愛なわけですが、
気づきませんか?

これがこの世界のパラドックスです。
仏教で云う「空」の概念もこのような事を示していますよね。
最先端の化学も、今のところは、こういった哲学的な結論に至っているようです。
宇宙よりも先に、意識がある、といったような。

さあ

いかがだったでしょうか?
右左喜家斧八流下ネタ術は

下は上を指し、上は下を指すという
当たり前のなかに
もう一つ違う視点、上の上は下で、下の下にあるものは上、といったような
輪廻のようなもう一つの軸、つまり次元を加えたものだったんですね。

引き算とは、愛をクリアにして行く事になるのです。

下ネタという一つの手法は
この混沌とし世界で迷える子羊達を

本来の姿に、本来のあるべき場所に

還して行くって

そんなわけあるかーい!!

ただ忙しくて頭おかしくなって現実逃避に思いつきで書いたただの狂言だばかやろう!言っくけどここまで読んだやつそーとー暇かそーとー頭おかしいかどっちかだらなあ!こんなクソ文章読んでる暇あんだったらオナニー して布団の中に充満したてめーのくっせえ精子の臭い嗅ぎながらズロティッシュ握ったまま力尽きて寝てる姿母ちゃんに見られろい!!

ああ、ちんこ出したまま寝て風邪ひかねぇように気をつろよ!


あ、きょうこのあとリメンバーってところでわたしとクチャッキーがやってる気まぐれ合唱団のライブありますんで、よかったら遊びに来てねぇ〜❤️

ドラムのたかみーは、かわいい女の子だよ〜⭐️





子でびる隊変態支店

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